アマゾンの料理人

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みなとみらいのTSUTAYAで、久しぶりに読みたい本に出会った。


「アマゾンの料理人」太田哲雄


アマゾンというキーワードに弱い自分がいる。

この言葉を耳にするたび、大好きだけど、もう行くことはないのかもしれない…という諦めのようなさびしい気持ちがつきまとい、最近は避けてきたのだ。


この本の中に出てくるアマゾンはペルー奥地であり、私が知っているアマゾンとは違う。私が知っているのは、ブラジルのアマゾン川河口のベレン、そしてマラジョー島、シングー川流域、マナウスからベネズエラ国境に向かう地域である。


でも、読んでいるうちに、太田さんの経験したアマゾンと自分の知るアマゾンが重なり始め、私の胸の中にアマゾンの風景が広がってくるのを感じた。


もう一つ印象的だったのは、ペルー料理を勉強しに行ったカニェテの道のりのところである。

バスの中で太田さんが感じる不安な思いは、学生時代の一人旅で リマからバスに揺られてナスカまで一人向かう時に感じた不安な気持ちと重なった。


深夜 ナスカの町に到着し、だだっ広い3人部屋にたった一人で心細く泊まったこと、眠れずに朝を迎えたことを思いだした。


朝になれば不安な気持ちは消え去り、一面砂の世界が広がっていた。ナスカの地上絵をセスナから見て感動したっけ。


ナスカの地上絵は、本当に存在していた。

そして、このナスカという町にドイツ人であるマリア ライヘという女性が地上絵の研究に情熱をかけていることを知ったのは、この旅の途中のことだった。


クスコの日本人宿で私が泊まった部屋の机の上に一冊の本が置かれてあり、部屋で暇だった私は 夢中で読み進めたのだ。マリア ライヘの人生に心震えた。


これからちょうどナスカへ向かおうとしていたから、まるで運命のように感じた。


その他にもペルーでは、一つの縁がまたもう一つの縁に繋がり、この流れは永遠に続くのではないかと思えるほどだった。


でも、今の自分ならわかる。

どんどん繋がる縁や流れにただただ身を委ねれば良かったんだと。



さて、アマゾンの料理人の太田さんは、本の中で

こんなことを書いている。


イタリアで料理人になろうと決めたときも、アマゾンへ旅立ったときや軽井沢へ移ったときも僕はいつも自分が楽しいと思うことを選んできた。と。


私はこの数ヶ月ずっと悩んでいた。

心のもやは そんなすぐに とれない。

でも、いろいろ悩んでここまできたなかで、わかっていることは、白黒つけなくて別にいいんだってこと。

次に進むとしても、なんとなくゆるやかで構わないということ。

今の自分は過去の自分としっかり繋がっていて、たとえどんな選択をしても、どんな自分も自分であり、その全てが愛おしいと同時に他愛もないことなんだから。


そう、そういうもんだ。

だから、大丈夫。